プロフェッショナル

  • 2017.11.02 Thursday
  • 15:25

プロフェッショナルとは?


調べてみると、本来の意味は「職業上の」で、その分野で生計を立てていることをいうそうだが、日本語の「プロ」という言葉には、「認定プロ」、専門家、そのことに対して厳しい姿勢で臨みかつ第三者がそれを認める行為を実行しているひと、などの意味が含まれるそう。

本来の意味でいうと、みんなそれぞれが何かしらのプロだと言えるのだと思うし、日本語の意味からすると、「その道を極めている人」となるのかもしれない。


やはり極めているというのは凄いことだと思うけれど、自分が心から「この人こそプロフェッショナルだ!」と感じて、その人から学んだり身を任せることが出来るとなると、かなり限られた人になると思う。


私には「今の私が必要としているプロフェッショナルな人」という人達が何人かいて、その人達は自分の先生であったり、体のメンテナンスをしてくれる人、アドバイスを下さる人、などだ。(とりあえず好きなアーティストなどは除いておく)


ヨガの先生で言うと、ナンシー先生・恵子先生・ツトム先生であり、あとはピラティスの赤塚先生、整体のなかたに先生、爪のケアのひろみさん、レインドロップの涼香さん、ヒーリングのYさん、長いこと私の髪を切ってくれてるRochieの市村さん、小原蘭禅先生、瞑想のミンギュル・リンポチェ。

あとは正しい世界観を知るために、ニサルガダッタ・マハラジ、池田晶子さん、ティク・ナット・ハンが伝えられていることを本を読んだりして学んでいる、というのが今の私の現状(ただこの人達はプロフェッショナルだとかそういう次元を超えてる人達なんだけど)。

とりあえず、今のところこれ以上は望めない、最高の布陣(笑)


例えばひろみさんは、最初に施術してもらった時「この人、爪のことしか考えてないのかな?」と思って、後日世間話をした時に「あ、普通の話もするんだ(汗)」と思ってしまったくらい、まさしく「爪の人」だ(笑)


でもみんな出会うべくして出会っている人達だと思う。


私はこれまで色んな人から学んだり体を預けたりしてきたけれど、敏感で神経質な私は、その人から「欲」や「エゴ」を感じてしまうと、すぐに息苦しくなってしまう。


この人は本当のプロなんだろうな、と思える人であっても、その人から「私を見て!私、すごいでしょ!」とか「私があなたを変えたい!変えてみせる!」という「思い」をすぐ感じとってしまうので、そういうのが息苦しくてダメなのだ。

これまではある程度仕方ないと思って受け入れていたけど、最近出来る限り自分の感覚に正直でいたい私は、頭ではこの人が必要なんじゃないかと思っていても何かしら拒否反応が出てしまうので、結局距離を置いたりしている。


それにヨガの先生は何者かになりたがっている人が多いし、セラピストさんも思いの強い人が多いので、ちょっと息苦しい(苦笑)

なので私はそういう人のクラスや施術を受けると、息苦しくなったり、後から何かしら不快な症状が出たりする。

ある人のヨガを受けた時は、息苦し過ぎて暴れそうになった(笑)

とは言いながら、人のエゴに敏感な自分自身もどうなのかな、とは感じていて。
まだまだその辺は私の課題でもあるのかな。



考えてみると、今の私がプロフェッショナルだと思える人達は、自分だけで何とかしようとしていないことが共通点なのかもしれない。


例えばなかたに先生は、去年私がヴィーガンをやめてボロボロになっていた頃、フラフラで歩くのもやっとこさだった私の施術をする時、私の胸と胸の間に手を置いて、ずっとじっとしていた。

そしたら私は涙が出そうになったので、「先生、泣きそうです」と言ったら「どうぞ」と言うので、私は自分の目の端から出た涙が顔をつたっていくのを感じていた。


あれで随分私は癒されたんだけど、後日先生は、「あの時西田さんには癒しが必要だと思ったので、月からエネルギーを借りました」と言っていた。

先生は色んな病院を回っても治らない人を沢山治してきてる人なんだけど、自分が頑張らず、宇宙から力を借りて、そしてその人自身の治癒力に任せている人なんだろうと思う。
私はあの時から、「この人は自分の体を任せれる人だ」と思い、今も定期的にメンテナンスしてもらっている。



でも基本プロフェッショナルと言われる人達は、その道を極めている人なので、プロフェッショナルでいたいと頑張ってたり、そしてその人のようになりたいと目指す周りにも、批判や嫉妬や競争が絶えないように見える。


ミンギュル・リンポチェやティク・ナット・ハンのようなエゴのない人でも、あまりに凄い人すぎる為に周りの人達のエゴが渦巻いてるだろうから、そこはちゃんと観る必要があるだろう。
アシュタンガヨガのグルジ(シュリ・K・パタビジョイス師)にも同じことが言えるのかもしれない。


「ピュア、真剣さ」と「エゴ」はやっぱり違う。
ただどこまでが信念なのか、どこからがエゴなのかを見極めるのは、非常に難しいところなんだけど。




そしてどんなに凄いプロフェッショナルから学んだりメンテナンスを受けたとしても、自分にとってはツールなのだということ。

どのツールを選択するのか、そのツールをどう使うのかは自分に委ねられていて、そのツールを一生必要とするのか、一時的に必要とするのかというのを見極めるのも、自分自身。

「こんなに凄い先生から学んでいる私」とか、依存してしまったりするのは、やっぱりちょっと違うと思う。




今私にはお世話になっているプロフェッショナルの人達がいるけれど、今までも私は沢山のプロフェッショナルから恩恵を受けている。


特に、山下先生、智佳先生、ゆみ先生は私がお世話になった大事な先生達だ。


先生達のおかげで、今の私がある。
だからとても先生達には感謝している。


私を導いて下さり、本当にありがとうございます。







でもこんなことを話してる私自身は、何かのプロフェッショナルになるつもりも予定もない(笑)


あ、でももしかしたら「自分のプライベートを晒すプロフェッショナル」だと思われてたりして(汗)



でもそれだったら、世間を相手に自分を演じる太宰治のユーモアと温かさを目指したいものだなあ(笑)


















 

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