内なる平和

  • 2018.12.02 Sunday
  • 15:30

今年の初め、ミンギュル・リンポチェの新年のメッセージを見て、私は「内なる平和」を育もう、と心に決めた。

 

 

リンポチェは、現代は人類史上最も暴力が減っていて、それはとても素晴らしいことではあるけれど、私達の心の健康はバランスを欠いていて、ストレス、パニック、鬱が増えてどんどん強くなっていることを問題視され、そのためこの現代で最も重要なことは、内なる平和を育むことだ、と話されている。

 

まず自分の心が平和になることで、その平和を身近な人達と分かち合えるようになる。それが徐々に社会全体に浸透して、最後には世界平和に繋がる、ということだ。

 

 

「世界全体が幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の言葉があるようだけれど、これは全く逆も同じで、個人の幸福がない限り、世界全体の幸福はないとも言えるのでは、と私は思っている。どうしても世界から入ってしまうのだけど、まず個々の心の平和が、世界の平和を作っていくのではないか、と。

 

 

 

私達は二元の世界にいて、陰と陽、天と地、昼と夜、など二元がバランスをとって安定を保っており、人間の世界では、男と女、夫と妻、親と子、など相対立するものが一つになってこそ、初めてスムーズに運ばれる。

 

これが自然の摂理なのだけれど、この二元があるゆえに苦しむのも事実で、生死、苦楽、善悪、老若、好き嫌いなど、特に現代の私達はこのような二元論的な考え方に囚われてしまっている。

二つが一つになる、という理が理解出来ないからだ。

 

 

私自身、ヴィーガンとか散々両極をやってきた人間だけど、苦しみから解放されるためには、まず自分が苦しんでいることに気づかないといけないし、何故苦しいのか、ということも観ていかなくてはいけない。

 

 

 

そういえばこの間、藤田一照さんの新刊「考えすぎない生き方」を読んでみたいと思って書店に行ったのだけど、目次に目を通すと、

◎かわいそうな「私」を断つ 
◎「ないもの探し」から身を引く 
◎自分を「守る言葉」を使わない 
◎「べき」を押しつけない 
◎他人との「競争」から降りる 
◎「どちらが得か」を優先しない 
よけいなことをやめたら、心はラクになる。

 

 

 

思わず、息苦しくなってしまった(苦笑)

そういえばこの本も山下先生の新刊もそうだけど、すでにタイトルからして、私にはしんどい(汗)

枡野俊明さんなんかもそうだけど、禅の人って大体こうなっちゃうのかなあ(汗)

 

 

確かにそうなんだけど、ただ、考えすぎない、とか「〜をしない」という縛りが多過ぎて、私のような一般ピープルには正直難しいというか。

いや、そもそもそれ出来たら楽ですよね、と(笑)

 

 

ミンギュル・リンポチェがこの間話されてたように、嫌悪をすると、それ自体を作ってしまう。

《お味噌汁の瞑想》(→お味噌汁について考えないようにしようとすると、お味噌汁のことばかり考えてしまうというもの)のように、「余計なことをやめようとすると、余計に余計なことをしたくなる」のが人間の性なのではないのかなあ、と私は思うのだ。

 

 

あと、「考える」というのも捉え方が色々あるので、池田晶子さんの言うところの「悩むな、考えろ。」の考えるは、やっぱりちゃんと考えるべきだと思うし。

 

 

改めて自分が仏教3.0に興味が持てなくなったのにも納得したんだけど、何をツールとするのかはそれぞれ違うので、目指す所が同じなら、各々がその時の自分に必要なツールを使えば良いだろう。

 

 

 

 

二元論からの解放のためには、私はヨガと瞑想の実践が重要であると考えていて(ヨガもディヤーナ=瞑想なんだけど)、まずは実践により自身の心と体を整え、それを周りにもシェアしていきたいと考えている。

 

 

そして内なる平和を築くためには、リンポチェの言われる「気づき」が不可欠だ。

 

 

この間YouTubeで見たリンポチェのビデオが参考になったので、今回シェアしたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

《固着した見方を溶かす》

 

 

 

見解(見識)は本当に重要です

 

私達が信じているのは自由や解放です

 

自由の根源は

苦しみからの解放の根源は

執着心からの解放の根源は見解です

 

 

見解とは、智慧のことです

 

 

例えば、水が完全に凍っているとします

 

その時に、あなたが水の中にいたら

立ち往生してしまうでしょう

 

執着心のために私達は立ち往生しています

 

 

 

この固定的な世界には主体と客体があり

これは二元論的な心です

 

私達は時間と問題について罠にとらわれている

 

正しい、正しくない、

良い、悪いなどの

仕切りという罠に

 

私達がそれらを創り、そして自らを牢獄に押し込めます

水が凍りついて氷となるように

 

 

 

見解は太陽の光のようなもの

 

太陽が輝きだすと

氷は温まり、ゆっくりと溶けだします

 

 

ついに、氷は再び水に戻るのです

 

 

 

見解は、主体と客体の

二元論を超えることを助けてくれます

 

 

執着心は固体のようなものです

私達は自ら創った牢獄に閉じ込められてしまいます

 

したがって、現実の本質を

知ることによって自分自身を解放することもできます

 

 

 

真実を知ることによって

二元的な認識の仕方を超えたなら

私達は自由です

 

 

その時、水はもはや凍りついてはいません

その状態は柔軟でかつ自由です

 

 

 

それが見解の恩恵です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしこの景色を見ながらブログを書いている私って、本当に幸せ者だなあ(笑)

 

 

 

 

感謝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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