天上天下唯我独尊

  • 2017.05.04 Thursday
  • 22:20

「天上天下唯我独尊」


お釈迦様が生まれた直後、四方に七歩歩いて右手で天を、左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と唱えたという逸話がある。


この言葉は「誕生偈」とも呼ばれ、

「宇宙の中で我より尊いものはない。」
「この世で私だけが尊い」
「この世で一番偉くて尊いのは、ただ私一人である」
「この世で一番尊いのは自分である。なぜなら自分という存在はこの世に一人しかいないからである。」

というような意味で訳されている。


でもこの言葉をネットで調べると、「この言葉の本当の意味」と題され、この言葉の意味が誤解されている、お釈迦様はそんなことを言いたかったのではない、と何故かフォローのようなコメントを多く見かける。


例えば、

《 果たしてお釈迦様が「俺一人が偉いのだ」と偉ぶったことをおっしゃるでしょうか。
「実るほど 頭の垂れる 稲穂かな」といわれます。人間も、謙虚な人ほど周りの人たちから立派な人だと敬われます。
「唯我独尊」の「我」は、お釈迦様だけのことではなく我々すべての人間のことなのです。》



《「唯我独尊」とは、ただ我々人間のみが果たしうる尊い使命、崇高なたった一つの目的を持っている、という意味です。

何の為に生まれてきたのか、何の為に仕事をして生きているのか、苦しくても生きねばならないのはなぜか。

人生の目的を教えられたのが、お釈迦様であり、仏教なのです。
「自分という存在は誰にも変わることのできない人間として生まれており、この命のまま尊い。」というのが本来の意味です。

現実の世界に置き換えると、人間の命の尊さは、能力、学歴、名誉、財産などの有無を超えて、そのままで尊い「自分」を見だすことの大切さを教えている言葉なのです。

世の中は、とかく何事にも優劣をつけ他人と比較して優越感に浸ったり、劣等感に陥ってしまいがちです。

しかし、この言葉の真意を知れば、この世に唯一無二のかけがえのない自分という存在がオンリーワンだということに目覚めれば、他人と比較して傷つく必要など全くないものであると同時に、他人より優れたものがあったからといって、おごり高ぶるものではない、ということに気づくはずです。》






。。。。。失笑


もう、ほんとにお願いだから、勘弁して欲しい(苦笑)


こんな解釈してるから、日本の仏教は救われないんだ(泣)

しかしなんでみんなそんなに「オンリーワン=世界に一つだけの花」が好きなんだろうな(笑)
それを希望にしてるつもりなんだろうけど、それだと余計苦しいですから(苦笑)


いやいや、そんな捻らなくても、そのままの意味じゃないですか。
だって、そうとしか言いようがないんだから。



勿論私も真実を知る前は世間と同じような認識でいたけれど、今は「天上天下唯我独尊」というのは「単なる当たり前の事実」だと感じている。


このことを実感したのは以前のブログ「青空のわたし」にも書いてあるけど、昨年秋の大念寺での坐禅会で青空である自分に気づいてからで、ただその時はぼんやりと、もしかしてそうなのかな、って感じで確証がなかったんだけど、今年の元旦に「君の名は。」を観た後、自分が誰だかわからなくなった時に、はっきりと確信した。


でも普段の私の生活を送っているとそういう事実がどうも薄れてくるんだけど、最近のブログに書いてあるように近頃は「私とは何なのか」と改めて考えていて、

何故私という一つの視点から世界という景色が見えていて、一人だけ全く違う存在として自分が在るのか、そしておそらく私と同じようなことが他にも起こっていて、それぞれの世界がぶったぎられていて、でも繋がっているという不思議があって。



それをずっと考えていたら、「あっ、そっか。」と気づいた。




「自分しか、いないんだ。」






一瞬愕然としたけど、おそらくそれが本当だろうと思った。

でも、それで合ってるのか不安に思った私は、池田晶子さんの「人生のほんとう」をペラペラとめくっていたら、



そうして見抜いてゆくと、最後は振り出しに戻ります。
「なんだ存在しているのは自分だけではないか。」というところに戻ってきます。
存在しているのは自分だけ、「天上天下唯我独尊」ですね。




と書かれてあったので、合っているとわかった。


これまでの経験で、「宇宙=わたし」「全てがわたしである」というのは何となく掴めたんだけど、

自分『しか』いない

という感覚をありありと実感したのは、今回が初めてだった。


でも「自分だけが存在している」というのは、非常に孤独だと言える。

実際私が元旦に自分が自分でなくなる感覚を経験した時はとても怖かったんだけど、でも今回そう気づいた私は、何故かとてもホッとした。


逆に、「ああ、自分しか、いないんだ。」とわかったら、心がじんわりとあったかくなって、とても安らいで、何だか嬉しくなった。

自分しかいないんだから、ジタバタする必要なんて全然ないんだ。

だって、とてつもない大きな存在のわたしは、私がどんな私であろうと受け入れて包み込んでるんだから、本当は何の心配もいらないんだ。









この世界に自分しかいないんだから、「天上天下唯我独尊」は、そのまんまの事実。
というか、そうとしか言えない。


でもその自分は、「誰でもない」から、「誰でもある」。


つまり「全てが私である」、これがお釈迦様が達せられた境地なんだろう。




私はこの真実を、山下先生や池田晶子さんから学んでまず概念として受け入れたことで、実際に体験をした。

そして「考える」ことと「瞑想」を実践することで、こうやって少しずつ段階を経て、気づいていってるのかもしれない。



まだまだ私は気づき始めたところだけど、でもこの冗談としか言いようのないこの事実。


面白過ぎて、笑うしかないな(笑)








 

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